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人殺し 

どうして人を殺してはいけないのだろう
どうして?
答えは出ない
わたしが漠然と思った内容は両方あるということ
殺してもいい
殺してはダメ
どうして人を殺してもいいのだろう
どうして?

自分が殺されたくないから殺してはダメ
大事な人が殺されたくないから殺してはダメ
安心出来ないから殺してはダメ
では自分や周りがどうでもいい人は殺人してもいいのか
実際殺人は起こっている
人は一人では生きられないから殺してはダメ
社会が壊れるから殺してはダメ
ルールだから殺してはダメ
全部当てはまるのだろうか
ダメなものはダメ
これ最悪

殺人を犯している人でも大多数は自分が大事だろう
自分がどうでもいい人でも殺人を起こすことはまずありえない
では日本以外では?
ありとあらゆる人殺しが行われているこの世の中
人を殺してはダメなんて言葉は軽すぎる
そんなことを言っている間に死んでいる
生物的には?
生物的に考えると争うことは本能
殺し殺されは日常
それは同種であっても起こること
宇宙的には?
そもそも生きるとはなんだろう
命とは
種とは
別に生きていなくてもいい
別の問題になるくらい漠然としている

では何故人を殺してもいいのか
悪人だったら殺してもいいのか
悪人とは誰が決め付ける
とんでもない悪人だったら殺してもいいのか
処刑される悪人は死をもって償う
これも人間社会
自分が死んでもいい人は殺してもいいのか
実際そんな人は日本ですら止められない
済んだ後に罰せられて終わる
日本だって過去は簡単に人が人を殺していた
それは戦争でも切り捨てでも
ルールがそうなれば殺してもいい世の中
生物的に考えると食べるためなら殺してもいいのか
同種を食べるなんておぞましいことかもしれない
サバイバルだったら?
そんなシーンもあるだろう
殺しにきてる相手を殺したら正当防衛
つまり殺してもいいということになる
正当防衛なら殺してもいいのだろうか
殺さなければ殺される
そんな状況なら人を殺してもいい
つまり状況次第で変わる
それも人間が考えたルールなのだろうか
人を食べなければ死ぬ状況下では、人を殺しても良いのか

語った極論は実際の現場では生理的嫌悪感が抑えられない人が大多数だろう
でも何も多数決で考えているわけじゃない
ルールなんてものは極論で考えると脆い
人、場所、状況
どれも不安定
正直生物的に考えると深すぎてわたしの手に負えません
なのでわたしお得意の抽象的表現で纏めると冒頭で言ったような内容になる
人殺しは肯定も否定もある
そもそも善と悪は人間が決めたもの
そもそも何を基準にして人殺しがだめなのか
そもそも人殺しという言葉自体が説明不足
人間は矛盾だらけ
自分で問いておいて自分で一蹴するなんてアホ丸出しですね

自分でだらだらと語っておいて何ですが
当然のようにわたしが考えた内容は隙間いっぱい抜け道いっぱいです
わたしの結論で満足した答えは一つ
人殺しという言葉が説明不足というところ
これを限定的にすれば誰でも答え易くなるのではないだろうか
しかし殺しには殺しで対抗するしかない場合があるのも世の中である
それは正当防衛であっても、処刑であっても、止むを得ないときであっても
不穏分子は殺されるべき存在?
大勢が良くなれば殺してもいいのか
所詮は人間が考えたもの
[ 2013/06/11 23:49 ] | TB(0) | CM(0)

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